山岡人民葬のあとのデモは解散地点の東盛公園で大弾圧にさらされる。人々は公園内を逃げまどい多くの者が逮捕された。危機感のなかでようやく公園奥に結集した参加者の中に、小さく小さく映った上野さんの姿を発見した。年齢を逆算すると74歳ぐらいだったろうか。よくあの混乱のなかで大丈夫だったと思う。
思えば、いつも恋人のように私たちの闘いに寄り添っていてくれた。「アナキスト・クラブ」の例会の主催、東アジア反日武装戦線の救援、山谷闘争、獄中一般刑事犯の救援、ことあるごとに私たちはともにいたことになる。本年6月に逝去される。
大杉・野枝虐殺の報復戦となった「ギロチン社」事件に連座した上野克己の妻。文学少女時代に友人の恋人を労働現場に探すため家を飛び出し、当時大阪にあったアナキスト事務所にころがりこむ。そこから李ネストルを含むアナキストと合流することになる。ご家族にもずいぶんとお世話になった。
数年前、この写真を見せにいこうかと思った。しかし体調を崩していたし、なによりも自分が出ることを嫌っていた上野さんであれば、「こんなものいらない」と突き返されたであろう。
「古田さんのお墓の前では、あなたすごく怖い顔してらしてよ」と後年クスリと告げられた。そう、青春時代から今日まで、ほとんど私にとっては「闘う根拠」のような人であった。そして最後の「アナ老人」でもあった。冥土などというものはないだろうから、ただ告げる。
さよなら。ありがとうごございました。
(M)
※「山谷への回廊」南條直子写真展 特別展示写真より
上野さんが亡くなられたことを知りませんでした。ショックです。今年も年賀状を出したような気がします。その行動で、本当に何が正義か、何が真実か、教えていただきました。長年の恩人でした。ご冥福をお祈りいたしております。