【インタビュー】CGT国際関係書記アンジェル・バスケ(海老原弘子訳)

CGT国際関係書記アンジェル・バスケ

――スペイン革命の最も重要な遺産は何でしょうか?

重要なものは大きく二つあったと思います。第一に革命は一面的なものではないと示したことです。一瞬の爆発となることもあるものの、多くの場合、革命勃発の前に前段階のプロセスがあるのです。したがって、これを理解することはとても大切です。革命とは爆発の瞬間であると同時に、それが練られていく前段階の全てを含むものなのです。

その点に関して、スペインの社会革命が私たちに教えてくれるのは、クーデタ発生以前から、30年以上も前から、不当な状況に抗議しながら啓蒙や準備を行い、社会への介入を継続してきた人々が数多くいたことです。これが徐々に組織を生み出していき、個別に行われた議論や活動の中から、代替案を提示する包括的な動きが生まれました。身を護るためだけではなく、何かを構築しようとしたのです。

それに加えて、強力な組織の創設を成し遂げることの重要性も教えてくれます。人数の上でも、社会的な存在感でも、強力な組織が必要なのです。今回のケースでは、それがCNTで、もう一つの強力な労働組合であったUGTと共存する能力がありました。社会主義を目指していたUGTは、CNTほど急進的でも社会変革的でもなかったものの、当時にあっては闘争的な労働組合でした。

こうした努力があったことによって、動乱が発生してクーデタへの迅速な対処が求められたときに、一つの組織が背後にある相当な人数が動くことが可能になりました。そして、発生したクーデタの阻止に加えて「今こそ、長い間自分たちが望んでいたこと、もう一つの社会モデルを宣言して実践しよう」ということも行ったのです。戦争勃発という最初の段階から社会革命の実施に至ることができたのは、その前に20年にわたる事前の構築期間があったからです。集産化を行うことができたのは、革命を語り、その地ならしをしてきた多くの人々がいたからです。また、たくさんの人々が個人レベルでも自主運営ができるように準備してきました。いくら素晴らしい集産化の取り決めがあったとしても、産業の分野や農業の分野にいつの日か自分たちが事業を率い、種や米を分配するようになる日が来ると知っていた人たちがいなければ、何の役にも立たなかったでしょう。

そうしたことが、この社会革命の最も重要な教えだと思います。それを実現するためには、時間をかけた事前の作業が重要で、常に革命に対する心構えを持ち、日々革命を築いていかなければならないのです。

そして、もう一つの重要な遺産は、新しい社会を構築する闘争において、闘争は資本主義に反対するものでなければならないということです。権力を示すものとしての金銭に抗い、金銭、つまり資本のみに基づいて社会構造を組み立てようとする全ての人々と闘うことです。しかし、資本主義を崩壊させようとはしているものの、肩書きや役職、階級制によって権威を押し付ける、いわゆる国家資本主義を計画している人々や組織、あるいは革新派といった人々に対する闘いもまた、重要となります。つまり、ソ連のようなプロセスですが、これが社会革命か否かを決める重要な点だと考えています。もし真の革命が、真の変革が起こるのであれば、金銭や資本家を排除するだけでは不十分で、個人の関係においてもあらゆる圧制者の排除が必要です。左派であったとしても、あなたに命じる人たちもまた圧制者なのです。この二つが最も重要な革命の遺産だと、私は考えています。

――(住民自治型の市政が誕生した)バルセロナの現状をどう見ていますか?

バルセロナの利点は非常に重要な伝統があることです。ほとんどいつでも、抗議行動が有効に機能してきた都市であり、興味深いことなのですが、厳密な意味でのブルジョワという階級が存在する前から、ブルジョワの中には社会の進歩、つまり、ある程度の再分配を創出して発展させようとする人々がいました。そうした人々は、大富豪として君臨して搾取するのではなく、いうならば緩やかな搾取をしながらある程度の再分配を行っていました。そして、一方ではまた、そうしたブルジョワに対抗できる巨大な組織力と要求力を持つ労働者階級も存在しており、両者の共存と呼べるような状況が動乱発生の段階に到達するまで続きました。そして、労働運動では長期にわたって大きな衝突がいくつも起こりました。

とはいえ、バルセロナで起こった動乱は、労働運動に類するものだけではありません。ナショナリズムやスペインからの独立運動に基づいた蜂起や土地の所有権を求める反乱も頻発しました。富と権力を不当に占有する者とそれを持たない者の間には、そのような平行な関係が築かれており、時にはともに働き、時には対立しながらやってきたことを示す話が数多くあります。

こうした意味でバルセロナの社会運動にとって、この伝統の維持は好ましいことだと思います。私たちがなすべきなのは、圧制者やブルジョワの打倒だけではありません。私たちの目的は、むしろ彼らを生活圏から追い払って、新しい異なる社会モデルに着手することです。それが(バルセロナで)起こってきた歴史でした。

こうした面からは、現在のバルセロナは下降期にあると思います。長期にわたって統治機関に抗議してきた人々が、その内部に入りました。このことが動員の停止につながり、社会運動の数字の上で重要な部分においてこの代替案を扱うための別の方法が求められています。

継続している社会運動はいくつもあります。統治機関を通じた変革は絶対に不可能だと考える私たちは、同じ路線を続けています。私たちには今もなお、ストでのピケ行為や抗議行動、市長への侮辱などが原因で十数か月の懲役や罰金を科された仲間がいるのですから当然のことです。私たちのように抗議行動を行う者に対する弾圧は続いており、終わったわけではないのです。

メディアに社会運動が出ることが減って以前の状況に戻ったのは確かです。かつてメディアに登場していた社会運動の人々が統治機関での行動に移行し、もはや路上にはいません。しかし、今、バルセロナに来た人は、市民の間に二つの構築モデルがあることに気づくでしょう。一つは統治機関からシステムを壊すことなしに、一定の社会平等を実現しようとするもの、そして、もう一つは私たちのように正面から立ち向かわなければならない、システムを壊して別のものに変えなければならない、日々の活動が重要である、と考え続けているものです。それだからこそ、私たちは統治機関の外部からデモやスクワット(占拠)、自主運営空間の創出などの自分たちの活動を続けます。ここでは様々な活動が活発に行なわれていると思います。バルセロナを訪れる人は数万人の観光客の向こう側に、映画上映会や報告会、講演会など様々なオルタナティブの活動があり、三日に二回ぐらいは何らかの抗議行動があるのを実際に目にするでしょう。5年前と比べて数の上では減っているとしても、同じ活気を保っていると思います。

――アナルコサンディカリズムの現状をどう見ますか?

かなり前からですが、現在は主要なアナルコサンディカリズム組織が二つあります。CNTとCGTですが、CNTはさらにCNT―AITと単なるCNTにわかれています。カタルーニャでの組合員数はCNT約1000人、CGT約1万7000人です。それぞれ20万以上の組合員を抱える二大労組CCOOやUGTと比較すると、かなり控えめな数字です。しかし、その反対に、私たちアナルコサンディカリストは組合員の9割が極めて積極的に活動しています。中心軸である労働闘争においてだけではなく、あらゆる種類の抑圧と闘っています。

この15〜20年の間にCGTの組合員数は、年に数パーセントほどとゆっくりではあるものの、途切れることなく継続的に増加してきました。この5年間は二大労組の仮面が剥がれて本来の姿が明らかになったことで、増加率が目に見えて上昇しました。私たちはこの状況に大変満足しています。

私たちは過去の経験から十分に学んでいるので、一ヶ月で組合員を15万人に急増するようなことは望んでいません。この一、二年のうちにというのであればまだしも、来月ということになると問題が起こります。そういう状況になると、合議制や水平の意思決定というゆっくりと時間を必要する私たちのやり方で運営することができなくなりますから。それに何よりも私たちはイデオロギーを詰め込む学校にはなりたくないのです。CGTに加入した人たちには、あの本の15ページに書いてあるというような教義からではなく、それが一個人としての自分の活動の方法であり、組合員としてのあり方であるという理由で、それを理解して社会平等のために行動して欲しいと考えています。

ということで、推移の経過でも社会との関わりでも自分たちの活動には、本当に満足しています。今まで組合がなかった企業や場所、市町村に新しいCGTの組合ができるなど、多様化して組合員数が増えているので大変満足です。CGTはうまくいっていると思います。

――今後のCGTの計画を教えてください。

カタルーニャからの大きな計画は、今までと同じ目標と言えるでしょう。達成不可能に見えるでしょうが社会を変革することです。日々の活動によってユートピアを構築していくこととでも言いましょうか。次に解雇や不安定雇用、性差別や移民といった、日常の中でぶつかる現実の問題もあります。そここそが、私たちがいるべき場所ですから。

私たちは場所の不当な私有化や懲罰解雇、マチズムに対する告発、難民との連帯と言ったプロセスにおいて参加と寄り添いという視点から、スペインやカタルーニャの各地CGTとともに活動していきます。現実の上での私たちの目標は、組合員の安定した増加を継続させ、人々が闘争に参加するようにすることです。CGTとして計画している大規模なキャンペーンがいくつかあります。眼前の目標は10月に行われる多国籍間条約に反対する闘争で、10月8日から15日までが重要な闘争の一週間となるでしょう。私たちは真剣に取り組んで参加することになります。

また、難民との連帯に関しては、ギリシャを定期的に訪れている組合員がいます。公的サービスの再市営化も現在において中心的な闘争の一つです。こうしたことが今後の予定です。

――今日はどうもありがとうございました。

どういたしまして。

(2016年8月29日 バルセロナのカタルーニャCGT本部にて)

《CGTについて》
1864年の第一インターナショナル(国際労働者協会)が設立されると、1870年にFederación Regional Española(スペイン地方連合)が発足。その後紆余曲折を経て、1910年にConfederación Nacional del Trabajo(全国労働連合)となる。AITは国際労働者協会のスペイン語だが、第一インターナショナル消滅後、ボリシェヴィズムを批判し、革命的サンディカリズムを標榜する様々な労働組合が1922年12月にベルリンで行われた大会で国際サンディカリズム運動としてAIT(IWA)を形成した。内戦敗北後、フランコ独裁体制下でCNTは、1939年の政治責任法によって非合法化され、資産は全て没収された。亡命先での活動の中心がフランスのトゥールーズに置かれる一方、国内に残った組合員は反フランコ闘争ゲリラ(Maquis)となってフランコ体制との武装闘争を継続する。1975年11月のフランコ死後、1977年5月7日に労働組合組織として合法化されるものの、1979年12月にマドリッド(カサ・デ・カンポ)で開催された総会において、方向性の違いからCNT―AITとCNT-Congreso de Valencia(CNTバレンシア会議)に分裂。1989年に最高裁がCNTの名称の正当な継承権はCNT―AITにあるという判決を下したことから、CNT-Congreso de Valencia は名称をConfederación General del Trabajo(スペイン労働総連合)、通称CGTに変更して現在に至る。

*この記事は「文献センター通信 第37号(2016年12月15日)」の掲載記事を転載したものです。


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