映画『菊とギロチン』座談 〝半径数メートルの世界からはじまるー私たちの自由〟について

*この記事は「文献センター通信 第44号(2018年10月1日)」に掲載した記事の全文です。

(※ネタバレ前提です。未見の方はご注意を!)

中村友紀:すごい情報量の映画だったね。
門谷風花:観てる時からすごくムカムカして。観終わってもむしゃくしゃしたままで。女相撲メンバーみんなに同化して観ていました。
綿野かおり:わかる。わたしも女相撲チームが魅力的すぎて、ギロチン社より彼女たちをずっと見ていたいと思ってしまったよ。
中村:人間関係や、仕草や色々が眩しいよね、女相撲部屋がかけこみ寺みたいになっていて。風花さんの「ムカムカとむしゃくしゃ」ってコメント、すごく気になる!あとでじっくり聞くとして、カオはどうだった?
綿野:女相撲パートが面白すぎて、ギロチン社パートになるとちょっとテンション下がっちゃう感じなかった? 彼らの背景や考えていることを映画でわかるように説明するのってやっぱり難しいのかな。リャクだの、テロだの。買春したり、関係ない人殺しちゃったり。なにしたいの?って。
門谷:そうですよね。ギロチン社の不甲斐なさといったら!

◇恋愛は女を救わない

綿野:女相撲メンバーの小桜が婚家に連れ戻されそうになったシーンで伊藤野枝みたいなセリフを吐いてたの、グッときた。「家に火をつけてくれば良かった」とかね。
中村:今とは比べものにならない勇気だよね、家のシステムから飛び出すってことは。
綿野:さらに激しく本質を問われているような。見入ったよ…。主人公・花菊に「子供なんて面倒だから堕ろしちゃいなよ」っていうのも壮絶で。今でもそんなことなかなか言えないけど、彼女にはそれを言える存在感が漂ってた。
中村:花菊の嫁入りのエピソードも強烈。早く死んでしまったお姉ちゃんの代わりに、ってとこ。
あと、三治とかつが女相撲団体から抜けて行くシーン、正直ここまでやるか?っていうような悲惨な描写だった。
綿野:「魔が差した」ってかつ自身が言い出すの、すごいと思った。恋は気の迷い。男女関係のぬかるみに一瞬でも足をとられてしまったが故に、その結果が死って。一時的な色恋は自らを救わないって象徴かな?
中村:なぜに好きな女を死という独占で縛るかね?
門谷:そうですよね、あれは支配でしたね。やっぱり「菊ギロ」はただのアナキストたちの物語というより恋愛要素ががっつり入ってたのがミソというか。
綿野:花菊の暴力夫に古田が食らいついて、花菊に気持ちを伝えるシーンと対比的に配置されていたのも印象的だった。気持ちが通いあうのはほんの一瞬で、すぐさま二人はそれぞれの道をゆくという。
中村:花菊の夫にボッコボコにされて、次のシーンでまだ「花菊返せ~」とかへろっへろでついていくシーンね、すごく好き。
綿野:語弊があるかもだけど、爆弾を古田がはじめて正しく使ったような気がしたな。好きな女を守って初めて革命を成し遂げた!ってね。
門谷:うーん…そういう理論になっちゃいますよねぇ。好きな女を守って革命!というのがそもそもどこか引っかかるというか。好きは好きでいいじゃんと思ってしまいます。
中村:確かに!女を弱い存在に定義したいんじゃないの?とか思っちゃう。
綿野:「女一人守れないで、なにが革命だ」ってのは”守る”って言葉に引っかかりがあるかもしれないね。私の知り合いの活動家の奥さんが言ってたんだけど、「最初は周りの人の自由や幸せを望んでいたとしても、いつの間にか大きなものに飲み込まれて見失ってる。女一人幸せに出来ないで何が運動?活動?」ってね。
中村:うん、そうね。昔、野宿者運動に関わってた女友達がもうボロボロに疲弊しちゃって、「自分を幸せにできない人が、人を幸せにするなんて無理!まず私が幸せになる!」て言ってて、すっごく納得したの覚えてる。女の人はやはり具体的なのかもしれぬ。
門谷:まさに。わたしがこの映画の男女の描き方で思ったのもそこだった気がします。女は体を張って自分の身の回りの人々、あるいは自分自身を守るのに対して、男は頭で社会とか国とか大きい方に向かっていくって、目指す方向は同じでも、見ている所が違うと思いました。
中村:女は身体的、かつ具体的!
綿野:このまえ身体のバイオリズム調べたら、排卵日とかPMSやら生理前後すべて含めたら1ヶ月のうち5日しか心身ともに安定&健康!という日がなくて驚愕した。個人差かなりあるけど、自分の身ひとつでやれること、やれないこと、毎日見定めまくりだしそりゃ現実的にもなるかーって。

◇映画において、女の体に起こること

綿野:とにかく女の肉体というか身体性を全編通して強く感じた。生理が突然来るとか、野ションしたり、暴力受けるシーンも含めて。花菊が漁村で海見ながらおしっこするシーンに一番自由というか開放感を感じたよ。小学生の時を思い出して、気持ち良さそう…って!それで、生理はなぜあのタイミングで来たのかな?生理が来てない、みたいな伏線があったような。
中村:最初、オエってしてたから妊娠してたんだよね、きっと。
門谷:生理というか、流産の表現でしょうか。血が流れるシーンあったのがよかったですね。無いものにしてるようなものがほとんどですから。
綿野:わたしは男性の身体の感覚を味わってみたいよ。もちろんバイオリズムあるんだろうけど、身も心も一定な感じ。
中村:案外つまんないかもよ。性格が変わりそう!
綿野:確実に性格変わるでしょう、考え方も。
門谷:精神科医の斎藤環さんが、やはり女の人は圧倒的に体調が不安定で、男の人との違いはそこだって言ってました。
綿野:生理のあれこれを身体の不自由とするならば、それが取り除かれた状態って夢だよね。でもまた別の不自由があるのかもしれないね。
中村:不自由を知らなければ、本当の自由もわからないかもね。

◇身に覚えのある暴力

中村:拷問、強姦、国家権力などなど、これでもかという様々な暴力あったけど、どうだった?
門谷:女の人に同化しちゃって、かなりしんどかったです。むかむか、むしゃくしゃしたのは、映画の思惑にまんまとハマったからだと思います。特に暴力シーンでは、スクリーンに向かって、ばかやろー!って怒鳴りたくなった。それは映画の体験として重要なことだと思うけれど。
綿野:でも、暴力や抑圧されてきたことを描こうとする以上、そこを中途半端に避けないでしっかり描かないと、彼らの痛みが観た人に伝わらないってのもあったんじゃないかな。
中村:そうだね、私も映画の中のあの繰り返す暴力の数々、意図的な気がする。国家の暴力を体感させるというか。
門谷:カメラワークとかそんな感じでしたね。
中村:ギロチン社のテロの背景には、有無を言わせぬ国家の暴力があったから。誘拐みたいに連れ去られて、まともな裁判もなく、ものすごい数の友達が殺されて。ギロチン社のテロって、虐げられた人の最後の尊厳みたいな、切羽詰まって泣きながら投げる石って感じがしたな。
綿野:ギロチン社もだけど、在郷軍人会や花菊の夫とか男の人たちもすごくしんどそうだったよね。単なる一方的な暴力ではなくて、権力にされてきた暴力の負の連鎖が凝集している。
中村:みんな権力に苦しめられてる末端の人間なのよね。たまらなかったな、あの在郷軍人の人達のアイデンティティを完全にぶっ壊されてしまっている感じ。
門谷:人間同士の正常なやりとりが出来ないくらい、見えない力が働いてしまっている状況がやりきれなくて、それは今も変りませんね。
中村:自分を殴っている感があるよね、あのシーン。殴っても、自分が痛いっていうか。この映画に出てくる暴力は、みんな身に覚えのある暴力だわ。
綿野:ラストの女相撲と警察のぶつかり合いも迫力があったよね。自分の肉体と公権力と衝突しているシーンを文字通り体現していたね。
中村:私たちが何度かけこみ寺を作ろうとも、「国体舐めんな!」って土足で上がられる感。
綿野:女相撲部屋はかけこみ寺であり自立の場であるし、自分自身の弱さと戦う場なんだよね。戦ってるのが暴力や家でもあり、自分をしばる自分自身という感じもした。

◇愛と革命 − 恋愛じゃなく、もっと大きい愛情

中村:二人は今年大阪で開催された『大阪アジアン映画祭』のオープニングの『朴烈 植民地からのアナキスト』も観たんだよね。感想聞かせて!
門谷:シリアスな内容ですが、ユーモラスなやり取りがあり、エンタメにもちゃんとなってて観やすかったです。大変な幼少期を過ごした文子が、飄々としてて、常に明るかったのがよかった。
綿野:会場からも笑いが起きたかと思えば最後はみんなすすり泣いていたよね。なぜ反天皇制を朴烈と金子文子が訴えるのかを、逮捕後の尋問や公判を通じてしっかり描いているからこそ、みんなアナキストたちの姿に一緒に泣けたんだと思う。すごい光景だった。
決して朴烈と金子文子の恋愛の話ではなく、世界にもっと大きい愛情をもって動いてきた人々のお話で。貧乏や差別とか散々な目にあってきたから、人の痛みにも敏感だし、優しいの。
中村:「もっと大きい愛情」てフレーズ、いいね。二人とも、朝鮮の人々の惨状を何とかしたい、っていう強い気持ちがあってさ。
綿野: 二人の恋愛がどう盛り上がっていったかなどは描かれず、朴烈の書いた「犬コロ」っていう詩を文子が読んで、「同志になろう、一緒に住もう」て家に押しかけて即同居。映画の前半ですぐ逮捕されるからほぼずっと離ればなれなんだけど、恋なんて頼りないものじゃなく、根っこの部分で二人は繋がっているのが、じっくり描かれているのがよかった。
中村:伊藤野枝も言ってたね。「恋愛は終わるけど、その後に友情があって、それは命をかける甲斐のあるものだ」って。野枝の文章で一番好き。
綿野:野枝が子育てあんまりしないってのもびっくりした。周りのアナキストが子供のオシメ洗ったりしてたって。母親が全部やるって誰が決めた?って。
中村:体現してたよね。どれだけ先をゆく人なんだ!
門谷:職場で50代既婚男性に「料理しますか?」と聞いたら、「昔はしたけど今は当然しません」と答えられて、ああ…と思いました。当然って。
綿野:料理はできるに越したことはないと思うけど。男子厨房に入るべからずって今だに思ってのことだとしたら化石だな。ところで野枝は料理めっちゃうまかったらしいね!食べてみたい、ノエめし。

◇私たちにとっての自由とアナキズム

中村:「女は土俵に上がるな」問題やら、つい先日は「東京医大の女子学生一律減点」問題など、なんだこんちくしょう!ってな毎日だけど、私たちの未来でこうありたいなってことある?
綿野:でか!
中村:とりあえず、女による巨大デモでもやる?
綿野:フェミニズム、アナキズムって言葉を使わずに、しれっと今の状況やまわりの意識が変わるようなことが起こせたらいいな。
中村:しれっとね。その意は?
綿野:その言葉自体の受け取り方が人によって違うし、それを持ちだすとややこしくなること、多々。歴史を知るという意味ではそのキーワードがとても役に立つと思うんだけど。
中村:そうね、あと、常に身体性とか具体性を持ってたいよね。何事も具体的って大事。
綿野:自分個人のことでいうと「テロより猫」だなって結論に達したよ。
中村:過激ね~。
綿野:愛を起点にしたことしかしない!って心がけてて。でも愛を持ち続けるってむずかしい。猫に対しての優しい気持ちって私の中の唯一変わらない最良の部分だと思うから、他者にそれを持ち続けるには猫が必要、猫と暮らすべしっていう理屈でね。
門谷:猫って最高ですね!
中村:すごく具体的で切実で個人的でわかりやすくて、いい。アナキズムって言葉を使用しないで実現したい、て言ったの超面白いし、わかる。
だけど、アナキズムが世界の同じ気持ちの人々と瞬時に繋がるキーワードってのもあるんだよね、常に更新されて続けているいろんな形のアナキズムと。なので、そういうとこはすっごく便利と思う。
私は自分たちを殴るのではなく、横に繋がって、褒めあって生きていきたいなと思う。ディスり合いではなく、リス(リスペクト)り合い!
綿野:キーワードって瞬時にその人が大事にしていることがわかる、ショートカットキーだと思うから。その大切さもあるね。わたしがその言葉使わずに、て思ったのは、そのキーワードを持っていない人に対してってことだね。
中村:必要でない背景が付いてくるってのが、良くないよね。それが権威主義になるっていうか、フェミニズムでもそうじゃない。あなたはどれだけフェミなのかっていうテストみたいなのが付きまとうのとか。
綿野:そんなことより、ゲイの人が「差別されたことない」って自慢したり、女の人がレイプされた女性に「あなたにも落ち度がある」と言ってしまうこととか、課題は山ほどあるよね。
門谷:ひどい目にあった人はどんどん怒るのがいいと思います。でも、そこで対立が生まれちゃうと意味がないし、ことによっては状況がひどくなったりするので、個人的には直接的に怒りとか悲しみのエネルギーを使うのは避けたいと思ってます。対立を生みかねない表現で訴えるとか、知らしめるというより、何か別の方法はないかと考えています。それはやっぱり映画とか詩とか小説とか音楽とかなんだろうなと。目標は個人の尊厳、真っ当な権利を持つことと、誰もが対等でいることだと思うので。優しい気持ちを持つとか、考えるとかって余裕がないと出来ないし、それは労働の問題にも関わってくるので、男も女も当たり前に、健康で文化的な生活を送れるようになればいいですね。
中村:政治に求めるのは、最低限の生活、だけだね。あとは好きにするので、っていう。風花さんは、デモとかどう思う?
門谷:最近行ってないですが、話の中でもあったように、もうそうでもしなきゃ権力者がとんでもない!っていう状況なんで訴えていかなきゃどうしようもないと思います。実際問題として、みんな生活で精一杯で訴えることすら疲れているし、余裕がなくて。そうなるように仕向けられてるので、思う壺ですが…。理想は『ジャズ大名』(岡本喜八監督)です!ええじゃないか一揆と一体となるジャズ!祭り!
綿野:人は現実で起こっていることよりもお芝居とか映画とか、ストーリーの中で理解することも多いよね。
中村:そうだね。デモじゃない方法、っての考えるのも大事だと私も思う。
門谷:宇多田ヒカルの新しいアルバム『初恋』の中の「あなた」という曲が好きなんですが、

戦争の始まりを知らせる放送も
アクティヴィストの足音も
届かないこの部屋にいたい
もう少し

と、歌っていて、地獄だろうが革命だろうがあなたがいればいいよって歌なのですね。
さらに最後は、

終わりのない苦しみを甘受し
Darling 旅を続けよう
あなた以外帰る場所は
天上天下どこにもない

で終わるんですが、壮絶だな、と。
中村:「あなた以外なんにもいらない 大概の問題は取るに足らない 多くは望まない 神様お願い 代り映えしない明日をください」って!まさに今私たちが話してたこととリンクするね。全世界の女のテーマだと思った!
門谷:そうなんですよね。半径何メートルかの世界で幸せでいたいと言うか。
綿野:手を替え品を替え、言いたいことはずっと前からシンプルだよね。そういう意味で古田のセリフ「やるならいましかねえ、いつだって今しかねえ!」て、すごい至言。全人類共通の生きてる原点にたちまち立ち戻らせてしまうマジックワード。言われると焦る。突きつけられてる感じ。
中村:彼らの「今」と私たちの「今」がガチッと重なるというか。そういう装置として映画の中に存在する言葉だな、と思った。
綿野:「今しかねえ」=「今生しかねえ」だもんね。せっかく産まれて生きてんだから、やりたいようにしよう!って。
門谷:海辺で踊るシーンもよかったですね。あの時彼らは生きてましたね。
中村:自暴自棄じゃなくて、あっけらかんとした開き直りっていうか、そんな調子の「やりたいように」がいいね。
門谷:それこそアナキズムと思います!

【座談者 紹介】

◎門谷風花:会社員、映画制作スタッフ、映画配給団体のデザイン部。2018年大阪アジアン映画祭ポスターアート担当。
◎綿野かおり:東京から京都に移住して6年目。大阪で会社員をしつつ、未だにどこでどうやって、何を大事にして生活を組み立てて行こうか思案中♪
◎中村友紀:映像制作業。ギロチン社を題材にした『シュトルム・ウント・ドランクッ』(山田勇男監督)の助監督、宣伝を担当。

企画・構成/中村友紀


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