【寄稿】足立元:アナキズムとアート 最近の動向から

◇はじめに
一見親和的に見えるアナキズムとアートの関係には、微妙なところがある。自由・平等・相互扶助を理念とするアナキズムは一種のアート(表現)だと言えるかもしれないが、一方で、アートは必ずしもアナキズムではないからだ。どんなアートにも多かれ少なかれプロパガンダの要素があるし、業界の中でしか通用しないモノもあるし、中には劣悪なと言っても過言ではない商業主義もある。つまり、アートは必ずしも社会を変えるような運動体ではないし、思想を伴うものではない。

それでも、アートの一部には、アナキズム的なものを見出すことができるだろう。それはアナキズムそのものではない。だが、歴史的なアナキズムが遠ざかった今、それを振り返る視点を提供するものとして、あるいは新しいアナキズムとして、様々なアートの形をとって現れているのではないだろうか。ここでは、最近の展覧会の動向から、いくらかでもアナキズムを備えたアートを紹介することで、今日のアナキズム運動と研究に資するかもしれない見方を提供したい。

◇原爆体験から環境問題へ
殿敷侃(とのしき・ただし、1942―1992)という名前を知っているのは、よほど現代アートに詳しいか、広島・山口にゆかりのある人だけだろう。1980年代には国際的にも注目されたようだが、近年の美術事典類にその名は全く残っていないので、忘れられたアーティストと言っても過言ではない(小学館の『日本美術全集19巻』(2015年)に掲載された)。しかし、その作品は、すぐれて重く、熱い。広島に生まれ、幼いときに被爆した経験を、同時代の国際的な環境問題にまでつなげて、作品化していた。

たとえば、絵画では、原子爆弾で亡くなった両親の衣服、父親が最期に被っていたと考えた鉄兜が、極めて緻密に描かれる。見ているだけで気が遠くなりそうなほど、サビやヒビの一つ一つが描き込まれている。その営みは、原爆犠牲者への悼みでもあろうし、自らの後遺症の肉体と精神の痛みからの解放もあったのかもしれない。

インスタレーションでは、海岸で廃棄物を集め、固めて地中で燃やして、巨大な黒い球状の「お好み焼き」にするという公開制作の作品を残している。子どもたちは楽しそうに見ているが、それは人間の手によって作り替えられた地球の象徴だ。殿敷の胸のうちに、ユーモアを超えた、どこか嗜虐的なニヒリズムが、なかったとはいえまい。誰も否定できない普遍的な理念を訴える作品のうちに、その理念を裏切るようなユーモアがある。

今回の広島市現代美術館における回顧展で示されたのは、再現的な絵画から始まって、ポップな抽象絵画、版画、インスタレーション、そして参加型作品に至る、めまぐるしいスタイルの変遷だ。実際、何が代表作なのか捉え所がない。また、殿敷が50歳で急逝した後、90年代のアート業界では、社会性のある表現が今ほど評価されなかった。それゆえに忘れられたのかもしれないが、この展覧会では、いかに流行から外れて長らく忘れられても、本当に力強い作品は甦るということを示している。
◉「殿敷侃 逆流の生まれるところ」展(広島市現代美術館、2017年3月18日~5月21日)

◇カラフルな原爆像
広島市から車で1時間半ほど、宮﨑駿が「ポニョ」を構想した場所として知られる風光明媚な鞆の浦。そこには、知的障害者のための福祉法人が運営する、一風変わった展示施設がある。ここ鞆の津ミュージアムは、障害とは何かを問い、そこから出発することで、健常者の作品も障害者のものと並べている。そこには障害者施設ならではの平等と相互扶助をめぐる文化的実践があるし、自由なアート展としても刺激的な(ちょっと普通の美術館ではありえないような)内容の展覧会を立て続けに企画して、東京でも近年話題になっている。

2017年夏の企画展は、「原子の現場」というタイトルで、原爆の直接/非直接の体験をテーマに、故人を含む1920年代生まれから、若い人で2001年生まれの16歳まで、16人(組)の、もちろん障害者を含めた風変わりな出品者からなる。会場ではまず、A3BC:反戦・反核・版画コレクティブによる、核戦争をテーマにした木版の原版が迎えてくれる。原版は、黒い、反転した像であるが、まさに世界の鏡であり、木調の猥雑な展示空間に誘うものだ。

<原爆の絵(鞆の津ミュージアム提供)>

 次に、原爆を実際に見た人びとの絵に驚かされる。わたしたちは原爆を、たとえばキノコ雲の写真や丸木夫妻の《原爆の図》(1950年)によって、モノクロームのものとしてイメージしているのではないだろうか。だが、本当にそれを見た人たちが絵で証言するのは、原爆が実は虹色だったり、ピンク色だったりした、ということである。

とはいえ、「原爆を視る」という体験は、決して直接の当事者だけのものではない。言ってみれば、それは人類史的な体験だからだ。直接現場に居合わせなかった者たちもまた、原爆を描いてきた。そこには他者に寄り添う想像力が限りなく求められるが、だからこそ原爆はアートがくだらないものからより人間的なものになりうる契機を与えてくれるのかもしれない。

本展の出品者のひとりに、広島のガタロ(1949年生まれ)という、清掃員をしながらモップやバケツの絵を描く有名なオジサンがいる。ほとんど知られていない彼の色彩のシリーズは、原爆ドームを荒々しく描いたもので、一般に知られる叙情的な印象とはずいぶん異なる。その中にはペニスの形をした原爆ドームも見える。それは、広島という土地の歴史が持つ被害と加害の二重性を示すものだろう。また、ガタロによる、殿敷へのオマージュとして作られた、頭に被ることができるサイズの「お好み焼き」もあった。ふざけていると憤る向きもあるかもしれない。しかし、もしも諧謔がなければ、この悲劇に誰が立ち向かえるだろうか。少なくとも、思想や実践とは違う、アートによる戦い方があることを、この展覧会は教えてくれる。

<ガタロ他展示風景(鞆の津ミュージアム提供)>

 ◉「原子の現場」展(鞆の津ミュージアム、2017年5月3日~8月20日)

*この記事は「文献センター通信 第39号(2017年6月30日)」の掲載記事を転載(図版のみ差し替え)したものです。


コメントする