【寄稿】
戦争×アナキスト(イベリア半島編:印刷工アンセルモ・ロレンソ)/海老原弘子

戦争×アナキスト
イベリア半島編:印刷工アンセルモ・ロレンソ

2020年に掲載した感染症×アナキストが好評だった海老原弘子さん。この「戦時下」に新しい論考を寄稿していただきました。題して「戦争×アナキスト」。第一回「欧州編:電気工エッリコ・マラテスタ」に続いて、第二回「イベリア半島編:印刷工アンセルモ・ロレンソ」を掲載します。全3回予定。

戦争反対を叫ぶのではなく、戦争を不可能にしなければならない
         ルシア・サンチェス・サオルニル

アナキズムの祖父の遺言

1914年11月ブリュッセルでエリゼ・ルクリュの蔵書が待ち受ける運命も知らずに眠りについていた頃、スペインでは老いたアナキストがその主に思いを馳せながらテキストと向き合っていた。彼は印刷工アンセルモ・ロレンソ。マラテスタと同じように第一次世界大戦開戦以降のクロポトキンの変節に心を痛め、アナキストの伝統「反戦」を訴えるために最後の力を振り絞った。しかしながら、最期の時は迫っており、そのテキストを完成させる前にエリゼの元へと旅立つことになる。

未完の遺稿はマラテスタやゴールドマンらが反戦声明『アナキスト・インターと戦争』を発表したのと同じ1915年3月に『Tierra y Libertad(大地と自由)』のロレンソ追悼号に掲載された。「欧州の戦争はプロレタリア解放運動に予想外の重大な分裂を生じさせた」と始まるが、クロポトキンへの直接の言及はない。幾度となく策略や裏切りの犠牲になっても決して相手を責めることがなかった心優しき印刷工にとっては、タイトルを『パンの略取者たち』とするのが精一杯の非難の表明であった。ロレンソはマラテスタと同じ見通しを抱いていたようだ。

ドイツは軍国主義国家という形態を実現した。現在の戦争で勝利すれば、その力を際限なく増大させることになるだろう。しかし、もし連合国側が勝利したとしても、それは正義の勝利を意味するのではなく、 いくらかましな悪の勝利にしかならないことを認識するべきだ。その悪が日和見主義者と化したアナキストたちを惑わせた。なぜなら、勝利は、均一性を持てないものの、単独では優位に立つ脅威にもなれないという国民の間で分配されることになるからだ。加えて、そうした国民の中では、 民衆の抵抗や革命という伝統の力のさらなる発展にブレーキがかけられることになるであろう。

敬愛を込めて<アナキズムの祖父>と呼ばれるロレンソは、マドリードを訪れたファネッリを囲む最初の会合に参加した若者の一人だった。マラテスタと同じインターの一期生と言えるが、大学の学生運動が出発点のマラテスタとは異なり、14歳で親元を離れてマドリードに出稼ぎに来たロレンソは労働者として共和主義に触れた。識字率が一割にも満たないスペインの労働者階級にとって文字が読めることは特権に他ならない。<労働者階級の貴族>こと印刷工の職に就くと、夜間学校で貪るように知識を吸収した。 そこで身につけたフランス語で翻訳者としてもアナキズムに多大な貢献を残す。エリゼ、クロポトキン、ジャン・グラーヴェと、彼がスペイン語に訳したアナキズムの古典は枚挙に暇がない。

カール・マルクスの娘婿ポール・ラファルグの画策でマドリードのインターがマルクス派に乗っ取られると、バクーニン派の拠点であったバルセロナへ。1901年9月に産声をあげる《現代の学校》プロジェクトでは出版部門を担当して、フランシスコ・フェレ・イ・グアルディアの右腕となった。フェレの下で手がけたのがクロポトキンの翻訳や評伝の出版であり、さらには自著『El Pueblo-Estudio Libertario-(民衆-リベルタリオ研究-)』の出版の際に、序文を寄せてくれたのもクロポトキンである。活字プロパガンダに生涯をかけたアナキストは、憧れのマエストロへの失望をもう一人のマエストロへ思いを馳せることで希望へと変換しようとした。

これほどの荒廃と壊滅を目の当たりにして、我が同志である労働者たちの理性的な希望と慰めのためにも、このルクリュの偉大なる思想が普及することを私は望んでいる。《パンの略取者たち、つまり、労働し、相互に結びつき、自由で、対等で、パトロンの後援から離れた人間は、進歩という大義に身を捧げることになる。彼らこそが、すべての個人の発見を社会的な利益のために用いる科学的方法の導入を果たすであろう》。

徴兵という搾取の制度

マラテスタは『十六人宣言』への反論で「アナキストたち-そのほぼ全体において自らの信念に忠実なままでいた-」と断言しているが、その言葉に嘘はなかった。少なくともスペインにおいては。1910年に誕生していた労働組合CNT(全国労働連盟/Confederación Nacional del Trabajo)が反戦を貫くことで合意していたからだ。スペインで労働者階級が反戦と分かち難く結びついていたのには歴史的な理由がある。19世紀半ば労働者運動がインターとして発展した背景に、キューバ喪失に象徴される「宗主国スペイン」の没落があったことだ。

当時のスペインの徴兵は《Quintas/キンタス》と呼ばれる制度で実施されていた。新兵の募集はくじ引きで行われ、くじに当った者が徴兵義務を負う。一見公平なシステムに映るが、ここには抜け道があった。 1500 ペセタあまりを支払うことで徴兵の免除が可能だったのだ。あるいは、貧困層の家族に1500ペセタ以下を支払って代わりになってもらってもいい。つまり、スペインがいくら戦争をやっても、まとまった金銭を用意できる裕福な家庭の出身者は徴兵を逃れることができる。植民地の利権にしがみつく国家の犠牲となって、海の向こうの植民地で勝てる見込みのない戦争で血を流したのは労働者階級なのであった。先のテキストでロレンソは戦争と兵士について次のように語っている。

真摯に自由や文明、進歩のために闘う国家など決して存在しないことに疑いの余地はない。積極的に取り組むことといえば各国民の資本主義的な拡張、あるいは少なくとも、怪物のように巨大な支配的国家を前にした相対的に弱い国家の間の相互的な防御である。ここから、労働者の戦争的行為は結果として労働者自身の損害となるのだ。なぜなら、自らの労働を破壊し、プロパガンダを無に帰し、発展途中の労働者組織を消し去ってしまうからだ。さらには、労働者からすべての抗議や反逆の理性に基づいた土台が奪われることにまで至る。実際のところ、兵士の席に座ることは固有の権利を放棄することに他ならない。

ロレンソが「固有の権利の放棄」を決して容認できなかったのは、アナキズムにおいて「搾取される自由」や「自由を放棄する自由」は存在しないためだ。言ってみれば、戦争とは労働者階級に対する搾取の一形態であり、徴兵制という制度がその事実を端的に表している。1909年フェレに死をもたらした《Semana Trágica/悲劇の週間》もまた、 当時スペインの植民地だったモロッコ防衛戦争への派兵拒否によって始まった抗議行動であった。

スペインの他にはアルゼンチンの FORA(アルゼンチン地域労働者連盟/Federación Obrera Regional Argentina)、そして、メキシコのアナキストが深く関与していた米国のIWW(世界産業労働組合/ Industrial Workers of the World)が組織として反戦を表明していた。実は、世界各地に反戦アナキストは多くとも、労働者組織が反戦ブロックを築けた国は数少ない。 フランス支持を訴えたCGT(フランス労働総同盟/Confédération Générale du Travail)を始め、欧州各国では労働者組織が軒並み国家ナショナリズムの大波に身を委ねていったからだ。

そうした状況の中で、反戦アナキズムを支えたのがマラテスタら<アナキズムの宣教師>の布教が着実に実を結んでいた新大陸であった。スペイン政府の弾圧を逃れてアルゼンチンに渡ったカタルーニャの家具職人グレゴリオ・イングラン・ラファルガが創刊した新聞を前身とし、ロレンソも寄稿していたFORAの公式機関紙『La Protesta(抗議)』に掲載された記事「未来の戦争」を見てみよう。

一世紀ほど前は、あるいはもう少し前かもしれないが、祖国について語られることはなかった。この祖国は前世紀に生まれて、現在では国家の問題の中で傑出した場所を占めている。今日では旗にちょっとした無礼を行うだけで、紛争に火をつける動機としては十分である。国民を巡る感受性は日増しに増大している。現在の国家が主に若者へ向けて行う祖国愛的な教育がさらに際立った分割へと仕向けている。ある国民が善良さの最高レベルへと引き上げられる一方で、それ以外の国民は下のレベルに置かれるのだ。

前世紀末に欧州から運ばれたアナキズムの種は、海の向こうのラテンアメリカの大地にしっかりと根を張っていた。こうして、第一次大戦を境にアナキストの労働者運動は国家と戦争を支えるナショナリズムという濁流に飲み込まれつつあった欧州から新大陸へと重心を移すことになる。

アナキストによる平和国際大会

「労働者たちよ、パンの略取者となれ」という祖父の遺言はCNTを覚醒させた。ちなみにCNTとはファネッリの来訪を契機に1870年に生まれたインターナショナルのFRE(スペイン地域連盟/Federación Regional Española)の再建として1910年に誕生した労働者組織である。ここからロレンソを始めとするインター派の悲願だった《インターナショナル再建》への道が始まっていたのだ。1911年のゼネストが原因の非合法化で弱体化していたCNTに代わって「平和のために世界中の労働者を集結させよ」という喫緊の課題のイニシアティブをとったのは、移民先のアルゼンチンでアナルコシンディカリストとなって故郷ガリシアのフェロルに帰還していたホセ・ロペス・ボウサであった。

1915年2月、スペインのみならずアルゼンチンでも存在の知られたボウサが創設者に名を連ねるフェロルの労働者自主運営文化教育施設《Ateneo Obrero Sindicalista/アテネオ・オブレロ・シンディカリスタ》が、4月末に《Congreso Internacional de la Paz/平和のための国際大会》を主催することを発表した。大西洋に面した港町フェロルは海外からの参加者を迎えるのに最適の立地だ。CNTが後押しするアナキストによる大会とは言えるが、当然のことながらアナキストだけに向けた大会ではなく、参加は万人に開かれていた。その目的は世界中から第一次世界大戦に反対する労働者を集めて議論することなのだから。そこでは以下の三つの議題が提案された。

1. 欧州の戦争を終結させる最速の方法
2. 人道に対する罪を避けるために取るべき新たな方向性
3. 全般的な常設軍の武装解除

ついに4月29日<フェロル平和国際大会>が開幕した。大会開催にはマラテスタを筆頭に反戦を貫いた『Freedom』誌の支持者たちが協力を表明し、欧州各国はもとよりアルゼンチン、ブラジルといったラテンアメリカからも参加表明が相次いだ。ところが、戦時中という状況下で、実際に会場に来ることができたのはスペイン各地とポルトガルからの代表団だけであった。当時、スペインもポルトガルも中立国の立場を取っていたが、それぞれの国が別々の側に参戦して労働者の連帯が引き裂かれる可能性は小さくない。イベリア半島の労働者の連帯を守るために、半島全体をカバーする新たな労働者組織の必要性が議論された。これが1927年にFAI(イベリア・アナキスト連盟/Federación Anarquista Ibérica)として実現する。奇しくも、半世紀以上前に、スペインのマドリードからポルトガルのリスボンにインターの種を運んだ3人のアナキストの一人が若きロレンソだった。

そして、紛争が始まった場合には、最終的には世界中の労働者の間の殺戮となる衝突がもたらす忌まわしい結果を避けるために、プロレタリアはストライキや蜂起を通じて経済を麻痺させるべきであるという伝統的なアナキストの姿勢を再確認した。戦闘の利用を放棄して、軍隊からの脱走やストを支援する。そして、もし可能性がある場合には革命を起こすのだ。さらに、平和国際大会常設委員会を設置することで合意がなされ、本部がリスボン、副本部がバルセロナに決まった。 スペインではこの大会をきっかけにCNTの再編が始まり、アナルコシンディカリスモの鎧をまとって最強の労働組合へと変容するプロセスの第一歩を踏み出す。甦ったCNTは次の目的に向かって動き出していた。そう、あの<インターナショナル>を再建してその一員となることである。未来のパンの略取者たちよ、「戦争を革命で阻止せよ」という呼びかけで、全世界の労働者を連帯させるのだ。

海老原弘子(アナキズム愛好家/イベリア書店事務員)

©X. Pubill/本文中で引用した二つのテキスト、ロレンソの「Los conquistadores del pan」とLa Protesta掲載の「La guerra futura」が収録されているアンソロジー『Ante la Guerra -El movimiento anarquista y la matanza mundial de 1914-1918』Virus Editorial 2015。

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