【寄稿】
戦争×アナキスト(欧州編:電気工エッリコ・マラテスタ)/海老原弘子

戦争×アナキスト
欧州編:電気工エッリコ・マラテスタ

2020年に掲載した感染症×アナキストが好評だった海老原弘子さん。この「戦時下」に新しい論考を寄稿していただきました。題して「戦争×アナキスト」。第一回目の「欧州編:電気工エッリコ・マラテスタ」を掲載します。全3回予定。

 その目的が資本主義システムの打倒でない限りは、いかなる戦争も正当化できない
                           エマ・ゴールドマン

幻のルクリュ地理学研究所

1923年9月1日に発生した関東大震災はアナキズムの歴史にも消えない爪痕を残している。二つの巨大な喪失をもたらしたからだ。一つはもちろん、憲兵による大杉栄と伊藤野枝の虐殺で、国家権力による最も過酷なアナキスト弾圧の例として世界のアナキズム史にしっかりと刻まれている。そして、もう一つは人間中心に語られる歴史の中では脚注にひっそりと書かれるような出来事のため、あまり知られていないアナキストの蔵書に纏わる大悲劇である。東京を襲った地震が誘発した火災によって、都内にあったアナキスト地理学者エリゼ・ルクリュの蔵書六万冊が焼失したのだ。

フランス生まれのエリゼ・ルクリュは、当時のアナキズム界でロシアのピョートル・クロポトキンと双璧をなす知の巨人であった。地理学者が知の最高峰とされるところに、帝国主義や植民地主義をもたらした原因が人間中心の西洋思想にあると考え、西洋批判の思想として発展したアナキズムの特徴がよく出ている。スペインのアナキズム史にはエリゼ・ルクリュは人類学者の兄エリーとともにルクリュ兄弟として登場し、クロポトキンやイタリアのエッリコ・マラテスタらと「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という原則を掲げる<アナルココムニスモ/無政府共産主義>の下地を作ったと人物の一人に数えられる。本稿でもエリーと区別するためにエリゼと呼ぼう。

エリゼはインターナショナルやパリ・コミューンに参加した後、1892年ブリュッセル自由大学に招聘されてベルギーに向かうが、パリで起こったアナキスト爆弾事件の余波で担当するはずの講座が中止となってしまう。紆余曲折を経て1894年からは自ら共同創設者の一人となったブリュッセル新大学で教鞭を取った。学内に設立されたルクリュ地理学研究所は1905年のエリゼの死後は地理学者の甥ポール(エリーの息子)の下で存続していたが、第一次世界大戦の勃発で閉鎖に追い込まれると1919年に機能を停止した。深川の倉庫で灰となったエリゼの蔵書六万冊は、ブリュッセル新大学の地理学研究所が収蔵していた地理学関連文献の大規模なコレクションであり、東京にルクリュ地理学研究所を開設するために海路はるばる日本まで運ばれていたのだ。さて、間違いなく日本、いや世界のアナキズムの未来を変えていたはずの巨大プロジェクトはどうして存在したのであろうか。

アナキズムの宣教師

1914年フランス率いる連合国とドイツ率いる中央同盟国との間で勃発した第一次世界大戦は、欧州のアナキスト労働運動に大きな衝撃を与えた。アナキストにとって戦争は革命の失敗を意味したためだ。レフ・トルストイの小説『戦争と平和』のタイトルがフランスのアナキスト、ピエール・ジョゼフ・プルードンの著作からの借用であることが象徴するように、1864年インターナショナル設立に始まる欧州の労働運動の大きな特徴が<反戦>である。 そもそも<インターナショナリズム/国際主義>は反植民地主義及び反帝国主義を掲げる以上、そのツールである戦争に批判的でなければならない。そのため、戦争をブルジョワ階級が他人の生産物を私物化し、搾取によって自らの陣地を拡大するために用いるもの一つと捉えていた。とりわけ、アナキストたちは<愛国心/祖国愛>批判の文脈からもあらゆる戦争に反対の立場を取っていた。そんなアナキズムの反戦を象徴する人物がマラテスタである。

共和主義が一種のユートピア思想でもあった南欧では、共和政府軍によるパリ・コミューンの弾圧を目の当たりにして、数多くの共和主義者がアナキストに転向した 。アナキストが「赤い共和主義者」と呼ばれる所以だ。このような元共和主義者の中に名を連ねているのがマラテスタであり、ミハエル・バクーニンの命を受けてスペインにプロパガンダに向かったジュゼッペ・ファネッリであった。イタリアでは1865年夏のバクーニン滞在を契機として、ナポリにファネッリらが参加するバクーニン派のグループが生まれ、これがイタリア初のインターナショナルの種となった。

インターにおけるバクーニン派とマルクス派のプロパガンダの最も大きな違いは、マルクス派が欧州内のプロパガンダに注力した一方、南欧に拠点を築いたバクーニン派は早い段階から海の向こうを目指したことと言われる。聖書を手にしたイエスズ会宣教師さながらに、革命を胸に秘めて海を渡った数々の<アナキズムの宣教師>の一人がナポリを故郷としたマラテスタであった。大学時代に共和主義学生運動に身を投じるが、パリ・コミューンで共和主義に失望。インターに参加することでアナキストとなると、バクーニンがナポリに遺したアナキズムの種を隣国スペイン、さらにはアルゼンチンや米国といった新大陸へと自らの脚で運んだ。

行く先々で電気工の移民労働者として働きながら、労働組合を組織したり、定期刊行物を出版したりと、アナキズムのプロパガンダに精を出す。この<プロパガンディスト/宣伝者>としての多大な功績から、マラテスタはスペイン語圏のアナキズム史においてクロポトキンに勝るとも劣らない重要人物とされている。大杉も「無政府主義の腕」に「マラテスタは、『クロポトキンは無政府主義の頭で、マラテスタは無政府主義の腕だ』と言われている人だ」と記した。

そして、第一次大戦におけるフランス側への支援を訴えることで、19世紀以来のアナキストの反戦の伝統を大きく揺るがしたクロポトキンに対して最も厳しい批判を行い、最後には長年の同志関係を解消して完全に決別したのもマラテスタだ。さらには、ファシスト党を率いたベニート・ムッソリーニに最も脅威を与えていたのもマラテスタであった。ムッソリーニは政権を掌握するとマラテスタを軟禁状態に置いて他人との接触を禁じただけでなく、その死後も監視を続けて遺体が埋葬された墓に誰も近づけないようにしたという。欧州ファシズムの頂点に立った人物がナポリの電気工をどれほど恐れていたのか、余すことなく伝えるエピソードではないか。

『十六人宣言』の波紋

1916年4月16日クロポトキンが編集に携わっていたアナキズム誌『Freedom(自由)』にマラテスタの寄稿「親政府のアナキストたち」が掲載された。「クロポトキン、ジャン・グラーヴェ、シャルル・マラート、他十人ほどの旧知の同志が署名した宣言が現れたところだ。そこでは連合国側政府への支援を訴える人々の声を反復して広めている。死に至るまで闘い抜くこととドイツ壊滅を要求して、いかなる《早計な和平》にも反対の立場を取る」と始まる。ここで言及されているのが同月に労組機関誌『La Bataille(戦闘)』に掲載されたいわゆる『十六人宣言』であり、フランスのアナキストを中心に15人がフランス側への支持を呼びかけるという、アナキストの反戦の伝統への裏切りが行われた瞬間であった。

いつものようにマラテスタは即座に行動に出た。 「資本主義メディアは、当然のごとく大満足で宣言の抜粋を掲載して、それを《国際的なアナキズム運動の指導者たち》の作品と宣伝している。アナキストたち–そのほぼ全体において自らの信念に忠実なままでいた–には、冷酷な殺戮の継続にアナキズムを巻き込もうとする試みに対して抗議する義務がある。この殺戮は正義と自由という目的に対していかなる利益も約束することは決してなく、現在ではどちらの陣営の政府から見たとしても完全に不毛で無益であることを示している」とフランスの同志たちの主張に真っ向から反論したのだ。

というのも、マラテスタは先立つ1915年3月にアレクサンダー・バークマン、エマ・ゴールドマンら36人のアナキストとともに「いかなる戦闘的行為にも反対する」という立場を表明する声明『アナキスト・インターと戦争』を発表していたのだった。今回も「国家には善を行う能力はないと私たちは断言する。国際関係においてのみならず、私的な事柄においても同様に、自らを侵略者に変えることでしか侵略と闘うことができないのであり、この組織的犯罪をさらに大きな犯罪を犯すことでしか回避することができないのだ」と同じ主張を繰り返す。もう少しマラテスタの声に耳を傾けてみよう。

 戦争は、革命を起こすこと、あるいは、少なくとも政府が革命の勃発を恐れるようにすることで、阻止されなければならない。現在までのところはそのために必要な力にも巧みさにも欠けていた。
 その通りだ! しかし、方法は一つしかない。未来をより良いものにすることだ。私たちはかつてないほどに妥協を避けて、資本家と賃金労働奴隷の間、支配者と被支配者の間の断絶をさらに深化させ、民衆の間の友愛、正義、自由を保障する唯一の方法としての国家の破壊と私有財産の接収を説くべきなのだ。私たちはこうしたことを実行に移す準備をしなければならない。
 従って、私には戦争を長引かせるために何かを行うことは犯罪であると思われる。そこでは人間が殺害されて富が破壊される上に、解放のための闘争の続行の障害となる。《総力戦》を諭すことは実際には、 敵はドイツの民衆を打ちのめして奴隷化しようとしているのだと説得して闘争心の熱情を煽り、臣民を欺いているドイツ政府を後押しすることになると私には思われるのだ。
 現実にはいつものように、これが私たちの闘争の叫びであるべきである。
 資本家と政府、すべての資本家とすべての政府を打倒せよ!
 民衆、すべての民衆よ、永遠に!

第二次世界大戦の足音

結局『十六人宣言』はアナキストたちの間にクロポトキンに対する反発を引き起こし、フランスを中心にアナキストの労働運動の中心軸がアナルココムニスモからアナルコシンディカリスモへと移る変化を促す。クロポトキンは反戦を貫いた『Freedom』誌から去り、多数の同志を失って孤立した。実は、この歴史的な宣言に署名をした一人の日本人がいることをご存知だろうか。ポール・ルクリュ家に居候中だった石川三四郎である。当時の欧州で幸徳秋水が処刑された大逆事件が最悪のアナキスト弾圧として知られていたため、それを逃れたアナキストとして石川はかなり有名だったらしい。苦しい亡命生活に支援の手を差し伸べてくれたポールに請われて署名したと言われ、Tchikawaと署名している。

このポールと石川の個人的な関係が、戦火が燻る欧州からエリゼの蔵書を日本に疎開させるという前代未聞のプロジェクト実現の鍵となった。欧州のアナキストたちは戦争がさらなる戦争を呼ぶこと、第一次大戦が終結したとしてもその次にさらに大きな戦争が起こることを予見していたからだ。先のテキストにマラテスタはこう書いている。

 もし、今日《ドイツの脅威》から身を護るために政府や資本家と仲良く協働することが必要であるならば、その後も戦時中と同様にそれが必要となるだろう。
 ドイツ軍の敗北がいかに大きなものであろう–敗北するのは確実だ–とも、ドイツの愛国者たちが復讐を考えて、そのための準備を行うことを妨げることは全く不可能であることがわかるだろう。そして、他の国々の愛国者たちは、それぞれの視点から極めて理にかなったことであるが、不意打ちを喰らわないように準備万端でいることを望むであろう。これが意味するのは、ドイツの軍国主義はすべての国々において永久的かつ普通の制度となるということである。

石川からエリゼの蔵書六万冊が焼失したという知らせを聞いたポールは「あの噴火山の賛美者エリゼの形見が震災で焼けたとはいかにもふさわしい成行ではないか!」と返したという。不幸にもマラテスタの予想は的中し、復讐を誓ったドイツによって1939年欧州は再び戦火に包まれた。確かにあのエリゼならば、自分の大切な蔵書が人間の愚行が生み出す炎に消えるよりも、巨大な自然の力で無に帰すことを望んだのかもしれない。

*本稿はマラテスタ研究者の故戸田三三冬さんに捧げる。

海老原弘子(アナキズム愛好家/イベリア書店事務員)

©X. Pubill/第一次大戦に関するアナキストのテキストを集めたアンソロジー『Ante la Guerra -El movimiento anarquista y la matanza mundial de 1914-1918』Virus Editorial 2015。本文中で引用したマラテスタのテキスト「Anarquistas progubernamentales」(スペイン語訳)が収録されている。

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