戦争×アナキスト
スペイン編:交換手ルシア・サンチェス・サオルニル
2020年に掲載した感染症×アナキストが好評だった海老原弘子さん。この「戦時下」に新しい論考を寄稿していただきました。題して「戦争×アナキスト」。第3回目となる最終回「スペイン編:交換手ルシア・サンチェス・サオルニル」を掲載します。
スペイン内戦において私たちの世代が学んだのは、理のある者が敗北すること、力が魂を破壊すること、そして、時には勇気が報われないこともある、ということだった アルベール・カミュ
黒と赤で覆われた棺
1940年5月17日米国シカゴではエマ・ゴールドマンの葬儀が営まれていた。徴兵反対運動を理由にアレクサンダー・バークマンと共に1919年に国外追放となって以来、初めて米国への帰国を許され、その遺志に沿って 1886年のヘイマーケット事件で処刑されたアナキストたち、いわゆる「シカゴの殉教者」が眠る墓地に埋葬されることになったのだ。その棺を覆う黒と赤の旗には<SIA-AIT>と<FAI>という文字が見える。ゴールドマンが参加していた組織の略称で、SIA(Solidaridad Internacional Antifascista/反ファシズム国際連帯)、AIT(Asociación Internacional de trabajadores/国際労働者協会/インターナショナル)、 FAI(Federación Anarquista Ibérica/イベリア・アナキスト連盟)と、すべてスペイン語である。
有名な自伝『Living my life(邦訳は『エマ・ゴールドマン自伝』)』出版後も、ゴールドマンの波乱万丈の人生は続いていた。1936年6月28日長年の同志だったバークマンが自ら命を絶つ。奇しくもゴールドマン67回目の誕生日の翌日であった。南仏で深い悲しみに沈み、生きる気力を失いかけていたゴールドマンを現実世界に引き戻したのが、ピレネー山脈の向こうから届いた「アナキストの革命勃発」の知らせだった。1929年に出版されたバークマンの著作『Now and After: The ABC of Communist Anarchism(邦訳『アナーキズムのABC』)』のスペイン語版が1937年に再版された時、 ゴールドマンはその序文を「アレクサンダー・バークマンはニースの質素な墓に埋葬されている。しかし、彼のアイデアは1936年7月19日スペインにおいて蘇った」と締めくくっている。
ジョージ・オーウェルの『カタロニア讃歌』によって、広く知られる歴史的悲劇となった「スペイン内戦」の裏側では、アナキスト系労働組合CNT(全国労働者連盟)を中心に「アナキズム革命」が起こっていた。反戦活動によって米国を追われたゴールドマンが「スペイン内戦」を支援したのは、その戦争の目的が資本主義システムの打倒であったからに他ならない。CNT-FAI のロンドン代表になると、世界各地を飛び回って革命への支援を訴え、英国を去るまでSIA 英国の書記も務めた。SIAは内戦の最中にスペインで 創設された組織で、ゴールドマンは死の間際までスペインSIAの書記だった若い同志の消息を気にかけていたという。その同志の名はルシア・サンチェス・サオルニル。
女同志X
1895年マドリードの慎ましい家庭に生まれたサオルニルは、当時の女性にとって花形の職業であった電話交換手として働きながら文学の道を志す。唯一の女性として前衛的文学運動《ultraísmo/ウルトライスモ》に参加。1920年初頭文学誌に初めて掲載された作品にはルシアノ・サンサオルという男性名で署名している。しかし、次第に中産階級出身の男性ばかりの文学運動とは距離を置くようになり、職場テレフォニカでのストライキ参加をきっかけにアナルコシンディカリスモの労働組合運動に身を投じる。その文才をプロパガンダに注いで 『Tierra y Libertad(自由と大地)』『Solidaridad Obrera(労働者の連帯)』といった当時のアナキズム出版を代表する媒体に寄稿するようになった。1934年8月のCNT機関誌に掲載された記事は次のように始まる。
現状の緊急的必要性によって、この連載において当初予定していた進行の順番に変更を加えることを強いられた。最近の戦争とファッショに反対する女性たちのデモがもたらしてくれた一連の考察を提示するためである。
これはサオルニルが「女同志X」名義で寄稿した連載「革命への道にある女性」に含まれる記事で「戦争を前に、そして、ファッショを前に」というタイトルが付けられている。一般的な歴史では「スペイン内戦」は1936年7月に勃発したとされるが、それに2年あまり先立つ1934年夏、スペインの女性たちはすでに戦争とファシズムの気配を身近に感じ、異議申立てのために路上に飛び出していたのだ。
戦争、ファッショは、物事の一状態の表出に過ぎない。掘り返す、掘り下げる、物事を露わにする、破壊するといったことは、歴史が女性のために残しておいた使命であり、人類が女性に期待する権利のある仕事である。見晴らし台を探し出して数世紀の埃を払い落とし、澄み切った目をしっかりと見開いて、世界のパノラマを詳細に調べなければならない。男性的な偽りの学識はすべて脇に置いて、彼らの政治社会学をすべて捨て去って、私たちの意識の奥深くに真実を探すのだ。ゲーム盤をひっくり返して新たな対戦を始める。現在の価値はすべて、ひとつ残らず偽物なのだ。そして、専門用語を変えても無駄である。物事の本質と核心を変化させる必要があるのだ。(中略)そのためには、新しい視点と前人未到の道を探し出さなければならない。同じ道を行けば必然的に同じ場所に行き着くことになる。同じ方法では同じミスを繰り返す。新しい方法による新しい生活を築き上げなければならない。
アナキストたちが宣言や平和大会で反戦を訴えてから、すでに20年あまりが経過するが、情勢は一向に好転しない。ファシズムを掲げる国家とその軍隊は勢いを増すばかりで、戦争という脅威は日増しに増大している。スペインでは1931年に労働者たちの夢であった第二共和政が現実のものとなったが、待ち望んでいた社会の変革はまだ実現しない。
戦争反対を叫ぶのではなく、戦争を不可能にしなければならない。せっせと武器工場で筋肉を酷使する一方で、平和のためのアンケート調査を行うというような馬鹿げた男性的パラドクスをさっさと終わらせるのだ。(中略)戦争は民衆の自発的な動きではなかった。戦争を可能にするのは、常に国家の手によるおおよそ長期間に渡るムード作りに由来するものであった。これが空虚な古びた抽象物−祖国や名誉−を煽ったのだ。そうすることで情熱に火をつけ、憎悪を目覚めさせようとした。このようなおぞましい作業が功を奏したときにのみ、戦争が可能となった。戦争は、国家によって社会的な不公正として維持されて扇動されている。戦争をなくすためには国家をなくさなければならない。
革命前夜1936年5月サオルニルは、戦争=ファシズム=軍国主義と平和を同時に語る<男性的パラドクス>を終わらせるための行動に出た。アンパロ・ポック、メルセデス・コマポサダとともに、女性による女性のための「ムヘレス・リブレス(Mujeres Libres/自由な女たち)」を創設する。
新しい視点を探し出さなければならないことはすでに述べたが、そのために不可欠なことは、女性が自発的に行動することである。その固有の性質の衝動に身を任せて、メディアからのすべての暗示やすべての強制に反逆して、もつれた頭脳中心主義によってまだ歪められていない自覚が命じるままに従うのだ。
戦争に対する戦争
アルベール・カミュがスペインに深い関心を抱いていたのは、母方がバレアレス諸島のメノルカ島出身だった影響と言われている。 1935年若きカミュは 友人三人と集団制作の作品として一つの戯曲を書いていた。戯曲名は『Révolte dans les Asturies(アストリアにおける蜂起)』で、1934年にスペインで実際に起こった出来事を題材にしたものだ。スペインの女性たちが反戦と反ファシズムを掲げてデモを行った1934年夏、スペインの民衆はファシストによるクーデタに対する警戒を強めていた。そんな状況の中で保守政権はファシストの入閣を決定する。スペイン全土で抗議のための《Huelga General Revolucionaria/革命的ゼネラルストライキ》が呼びかけられた。各地のストが次々と治安部隊に制圧される中で、10月の約2週間にわたって労働者が支配権を掌握したのが、鉱山で知られるスペイン北部の地域アストリアであった。成功の鍵はCNTがインターのマルクス派が創設した社会労働党(PSOE)傘下の労働組合UGTと合意に至ったことだったとされる。ちなみにPSOE初代党首としてマルクス&エンゲルスが最初に白羽の矢を立てたのはアンセルモ・ロレンソであった。
アナキストたちが革命的シンディカリスモ(労働組合主義)に合流して行ったのは、直接行動、とりわけ戦術としてゼネストを用いるという点で一致していたためだ。1910年代に入ると「労働組合とゼネストを用いた革命の実現」を目指すシンディカリストたちは、国境を超えた連帯の模索を始める。1913年ロンドンで国際主義シンディカリスト第一回大会が開催され、第二回の開催を1915年に決定したものの、第一次世界大戦の勃発で中止を余儀なくされる。この中止された第二回大会の代わりに開催されたのが《フェロルの平和国際大会》であった。
1917年にロシアで革命が起こると、スペインのアナキストやアナルコシンディカリストたちは歓喜に沸く。次はスペインでも革命で戦争とファシズムを阻止するのだ。1919年2月CNTは8時間労働を求めて電力会社カナデンカからストを開始し、ゼネストで44日間に渡ってバルセロナを完全な麻痺状態に陥れた。1920年ロシアに視察団を派遣。その中に平和国際大会で頭角を現した新世代の一人アンヘル・ペスターニャがいた。1921年ロシアでのアナキスト弾圧を報告した「ペスターニャ報告書」によって、CNTはロシア革命、さらには第三インターナショナルと決別する。
そして、ついに1922年12月ベルリンでロシア革命に失望したアナキストやシンディカリストたちが<AIT=インターナショナル>の再建を果たす。革命的政党であろうと連邦主義政党であろうと、いかなる政党とも関わりを持たず、直接行動による革命実現を目指すことで合意する。さらに、軍隊の存在と武器の製造に反対する反軍国主義を貫くことも決まった。新生AITではFORAを擁するアルゼンチンを始め、ラテンアメリカ勢の存在が目を引き、半世紀を経て<全世界の労働者の連帯>というアイデアが欧州の外まで着実に広がっていたことがわかる。翌年1923年に大杉栄が欧州に向かったのも、新生AITがアジアへの拡大を視野に入れていたためであった。反軍国主義を掲げる労働者の手によって、戦争とファシズムに反対する国際戦線が築かれようとしていた。
革命という名の反戦運動
先の序文でゴールドマンは「バークマンを本書の執筆に書き立てたもう一つの動機があった。ロシア革命から取り出した革命戦術において新しい方向性が緊急に必要とされていたのだ(中略)アレクサンダー・バークマンは最も高揚した空想の中でさえ、本書の中で巧妙に論じたロシア革命の教訓が執筆のわずか6年後に決定的な要因になるとは予測していなかった。1936年7月19日スペイン革命、そしてアナルコシンディカリストとアナキストがそこで果たした役割が、本書『The ABC of Communist Anarchism』においてアレクサンダー・バークマンが提示したアイデアに彼が期待していたよりもはるかにずっと深い意味を付与した」と評している。ロシア革命を反面教師としたアナキストたちが思い描いた新たなコミュニズム《コムニスモ・リベルタリオ》に沿って行われた最初の革命が「スペイン革命」だったのだ。
アストリア蜂起の弾圧によって名を上げた軍人が1936年7月19日反乱軍を率いて蜂起する。スペイン内戦で将軍として反乱軍を率いたフランシスコ・フランコは、アナキストたちが平和のために集結したフェロルの出身であった。カタルーニャでは軍の蜂起を民衆が制圧して、クーデタの失敗が生み出した権力の空白の中で革命が進行していく。事態が急変したのは、翌1937年春バルセロナで《5月事件》と呼ばれる共和国側の内部の衝突が発生し、カタルーニャを掌握していたCNTの覇権が揺らぎ始めた時だ。革命の危機に直面したCNT は5月27日FAIとともに革命への国際的支援を強化する目的でSIA (反ファシズム国際連帯)を創設する。
CNTが一員だった新生AITのネットワークを通じて、革命という名の反戦運動に対する国際支援の輪が広がった。まずは隣国フランス、さらにゴールドマンがいた英国といった欧州から、米国、アルゼンチンとアメリカ大陸へ。オーストラリアではアストリア蜂起に参加して国を追われたCNTやFAIのメンバーがSIA を組織した。その輪は中国や日本といったアジアにも届き、1939年初頭には5つの大陸に20のSIAが存在することとなった。一年半余りの活動期間にSIAは医療や公衆衛生の分野、今でいう人道支援において重要な役割を果たして、戦時下の民衆の生活を支えた。世界中から集まった食料や支援を分配する役割を担っていたのが、スペイン全国書記となったサオルニルであった。反ファシズムの国際連帯組織の顔役を務めたのが『ムヘレス・リブレス』を象徴する人物であったことは示唆に富む歴史的事実である。
欧州の「ファシズムとの闘い」の象徴として人々の記憶に残る「スペイン内戦」は、 戦争に戦争を仕掛けたアナキストたちの闘いの舞台でもあった。 1939年イタリアとドイツという軍事独裁国家の支援に支えられた反乱軍側の勝利によって「内戦」が終結すると、フランコ将軍が《generalísimo/総統》として40年余りに及ぶ軍事独裁体制を敷く。しかし、過酷な独裁体制下でも労働者の反軍国主義の伝統は生き続け、民主化への道のりにおいては徴兵拒否運動が重要な役割を果たした。徴兵義務は民主化後の新憲法の下でも残ったため、その完全撤廃が実現したのは2001年である。もし、市民的服従という直接行動による粘り強い徴兵拒否運動が存在しなければ、現在も徴兵制度は存続していただろう。また、NATO加盟を巡って大規模な反対運動が巻き起こり、国民投票で反対が勝つのを恐れたPSOE政権が、苦肉の策として質問文に「NATO」という文字を用いないというイカサマを行ったことも、忘れることのできない反軍国主義の歴史の一ページだ。
絶望と希望の間
サオルニルは内戦の最中に文学的創作に戻って、1937年 「自由に堕ちた者たち」に捧げる作品集『Romancero de Mujeres Libres/ムヘレス・リブレスのロマンセ集』を発表した。戦争=ファシズム=軍国主義を生み出す<男性的パラドクス>の解体には、文学の言葉が有効な武器になると考えたのかもしれない。そこに収められた「Sonetos de la desperanza/絶望のソネット」の冒頭部分を自分の墓碑に刻むことを彼女は望んだ。
Pero… ¿es verdad que la esperanza ha muerto?
しかし、希望が死んだというのは本当なのか?
再び欧州が戦火に包まれている世界では、女同志Xの遺言が言いようのない重さと深みを持って心に響く。ゴールドマンに倣って「ルシア・サンチェス・サオルニルはバレンシアの質素な墓に埋葬されている。しかし、彼女のアイデアは現在も世界のどこかに生き続けている」と締めくくって、本稿を終わりにしよう。
海老原弘子(アナキズム愛好家/イベリア書店事務員)
【戦争×アナキスト】<全3回>
欧州編:電気工エッリコ・マラテスタ
イベリア半島編:印刷工アンセルモ・ロレンソ
スペイン編:交換手ルシア・サンチェス・サオルニル